precedent

判例情報

2025.9.8

営業部長が管理監督者に該当するとして時間外割増賃金の請求を退ける一方、役職手当の不利益変更に同意がないとして支払を命じた事例

判決等

大阪地判令和7年1月30日労判159号22頁(いわゆる「トーアスポーツマシーン事件」)

事案

1 事案の概要

本件は、株式会社Yの営業部長を務めていたXが、Y社に対し、時間外労働等に対する割増賃金、付加金、未払の役職手当の支払を求めた事案であり、概要は下図のとおりである。

2 事実関係

Y社の組織等

Y社は、野球、ソフトボール、バレーボール、テニス、バスケットボール、卓球等の運動競技用器具、スポーツ用練習機械及び器具備品類の製造販売等を業とし、主たる事業形態はOEMである。
近年のY社の売上は5億5000万円前後であり、50社以上ある継続的な取引先のうち、E株式会社、F株式会社、G株式会社及び株式会社Hの4社(主要取引先)との野球・ソフトボール関連の取引が売上高の約8割を占めている。
統括室は、社長・専務・Xら5名で年4回開催され、賞与・年度方針決定などに関与していた。

Xの職務内容、権限等

営業部における職務内容等

Xは、Y社の主要取引先に関する営業業務を担当し、新製品企画、販促活動やその計画、法人の窓口を担当していた。
Xは、野球、ソフトボール関係の製品について、翌年のカタログに載せるための商談に用いる新商品の企画書の準備として、原価計算をした上、Y社において確保すべき利益率及び商品ごとの予定小売価格の大体の掛け率を考慮して予定仕切価格及び予定小売価格を設定した企画書を作成しており、特別なことがない限り、Xが設定した価格を社長が変更することはなかった。
野球、ソフトボール関係の仕入れについては、100万円以上の発注は全体の1%未満であるところ、100万円未満の発注の場合(事務用品等を除く。)や、100万円以上の発注であっても価格が決定されている商品の発注の場合には、Xが発注書の承認を行っていた。

営業部年度方針の作成

Xは、Y社の年間売上目標を達成するため、主要取引先及び問屋との取引、その他(野球・ソフトボール以外)及び一般販売の各売上目標を設定するなどした営業部の部門方針を自ら作成し、第三営業課長に指示して営業部部門方針に基づく検討課題及び営業部における職務分担と責任を作成させ、その内容を確認して、営業部の部門方針を立案していた。

労務管理

営業部の社員は、Xに対して残業許可や有給休暇取得の申請を行い、Xが承認印を押していた。

採用

1名の採用者について、Xが募集手続、面接、社長に対する採用についての意見を述べ、社長がXらの意見を採用して採用者を決定した。

人事評価

Xは生産部長とともに、各部署所属の社員の人事評価を行い、統括室会議にてその説明をし、基本的にそのまま意見が採用されていた。

Xの労働時間の管理状況等

Xはタイムカードによる打刻をしており、通常の勤務時間に加え残業もしていたが、直行・直帰や出張もあり、勤務管理は柔軟な面があった。

Xの待遇

年収約689万円であり社内最高支給額であった。次点の生産部長は約607万円であった。

役職手当の減額支給の経緯

社長は、平成27年及び平成28年のY社の年間売上が6億円を下回ったことから、Xに対し、平成29年6月頃、会社の売上が6億円を下回ったため役職手当を2割減額する、役員報酬も既に減額している旨の話をし、Xはこれに対して異議を述べなかった。この際、社長はXに対して役員報酬をいつからどれだけ減額しているのかを説明しなかった。
その後、Xは社長が第三営業課長に対して役職手当の減額について説明する場に同席していたところ、この場では社長が同課長に対して売上が6億円に回復したら役職手当の額を戻す旨の話をしていた。
Y社は、平成29年6月以降の役職手当の支給額の減額に合わせた就業規則の変更を行っていない。

3 争点

Xが管理監督者(労働基準法41条2号)に該当するか

役職手当の減額に対するXの同意の有無

Y社の主張

Y社において年間売上が6億円を下回ったため、役員報酬を減額するとともに、役職手当を2割減額することになった。
社長がXに対して説明を行い、売上が6億円に回復したときには、役職手当を従前の金額に戻すと伝えた。これに対してXは、営業を任されている責任として申し訳ない旨の発言をし、役員手当の減額に反論無く同意した。
減額された役職手当をXはその後退職まで何らの異議なく受け取っていた。

Xの主張

社長から呼び出され、資料もなく一方的に減額を通告され、困惑して曖昧に返答をしただけで、同意はしていない。従前の金額に戻すという説明も受けていない。
仮に、Xの真摯な同意があったとしても、給与規程の最低基準効(労働基準法12条)により、労働契約の内容として、Y社はXに対して月額10万円の役職手当の支払義務を負う。

未払役職手当請求の消滅時効の成否

Xの主張

令和2年4月分及び同年5月分の役職手当は賃金の一部であり、Xは令和4年11月の訴え提起において、XのY社に対する賃金債権のうち一部請求であることを明示していない。
したがって、令和2年4月分及び同年5月分の役職手当についても消滅時効の完成が猶予されている。
Y社がXの在職中から給与規程を秘匿し、Xの退職後も賃金規程を含む就業規則の開示要求を受けながら、これに応じていなかったことなどからすると、Y社による消滅時効の援用は権利濫用である。

Y社の主張

Xは、本件訴訟の訴状で、退職金の差額請求を追加予定であると主張しており、一部請求であることを明示しているから、消滅時効の完成猶予の効果は訴訟提起していた一部のみに生じ、残部には及ばない。
仮にXの請求が明示的一部請求ではないとしても、未払残業代と役職手当差額分は賃金債権の同一性の範囲外にある。
Xが本件訴訟に先立って行った証拠保全手続において容易に法的な証拠収集手段を講じることもできたことなどからすると、Xが令和2年4月分及び同年5月分の役職手当について消滅時効完成までに提訴することができなかったのは、Xの過失によるものである。

判旨

争点1:Xが管理監督者(労働基準法41条2号)に該当するか

  • Xの職務内容、権限及び責任の観点
    • Xは営業部長として社員の中では最高の地位で、社員約20名中の約半数が所属する営業部を統括する立場にあった。
    • 統轄室の構成員として、年度方針・人事評価・賞与支給に実質的に関与していた。
    • Xが営業部の社員の残業許可申請や有休申請の許否の判断をしていた。
    • 売上の8割を占める主要取引先との価格交渉や100万円未満の仕入決裁など、営業上の重要権限も有していた。
    • 社員の採用活動への一定の関与があり、社長への経営提言等もしていた。
    • 以上より、「Xが、Y社において役員に次ぐ高位の地位にあり、営業部長として、社員の約半数が所属し広範な業務を担う営業部を統括する立場にあったこと、年度方針の決定、人事評価、賞与額の決定といったY社の事業経営ないし労務管理に関する重要な事項の決定に実質的に関与していたこと、残業申請及び休暇申請の承認という労務管理に係る権限及び役割を有していたこと、営業業務に関しても重要な権限と役割を有していたことなどからすれば、Xは、経営上の重要事項に関する決定に参画するとともに、労務管理等に関する重要な権限及び責任を有していたと評価することができる。」
  • 労働時間に関する裁量の観点
    • Xは直行直帰など自己の一定の裁量のもとで営業活動を実施していた。
    • タイムカード管理はあったが、これは使用者が管理監督者として扱う者に対しても健康管理義務や深夜割増賃金支払義務があることからすれば、タイムカードによる把握の一事をもって一律的な時間管理をしていたとはいえない。
    • 以上より、「Xは出退勤の時間について自由な裁量を有していたとまでは認められないが、一般の社員と比較して緩やかに労働時間が管理され、一定の裁量によって労働時間を律することができたということができる。」
  • 賃金等の待遇について
    • Xの年収は約713万円(未払役職手当含む)で、社員中最高額であった。次点である第二営業課長(約505万円)との差は200万円、約1.36倍。手当等を第二営業課長に至急していなかったことを踏まえても、有意な待遇差がある。
    • 売上規模(年間売上額約5億5000万円)や他社員との比較(役員社員合計20名とすると1人あたり2750万円となり、Xの人件費はその約25%に相当する)から見てもXの給与等は優遇されたものと評価できる。
    • 以上より、「XがY社から管理監督者に相応しい待遇を受けていたということができる。」
  • 小括
    • 「Xは、経営上の重要事項に関する決定に参画するとともに、労務管理等に関する重要な権限及び責任を有しており、この点は管理監督者性を判断するに当たって重視すべき要素というべきである。そして、Xが労働時間に関して自由な裁量を有していたとまでは認められないものの、一般の社員よりも緩やかに労働時間が管理され、自らの裁量によって労働時間を律することができており管理監督者に相応しい待遇を受けていたことも考慮すると、Xは管理監督者に当たると認められる。」

争点2:役職手当の減額に対するXの同意の有無

  • 賃金減額に対する労働者の同意の有無
    • 「当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁判所平成28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁参照)。」
    • 「社長からの役職手当の減額の説明に対し、Xが異議を述べなかった事実は認められるものの、Xが明確に同意の意思表示をしたことを認めるに足りる的確な証拠はない。また、社長はXに対して、役職手当の減額の理由としてY社の売上が6億円を下回ったことを説明したのみであり、それ以上にY社の財務状況について何ら説明しなかったことからすると、役職手当の減額の必要性について十分な情報提供ないし説明がされていたともいえない。
      そうすると、役職手当の減額を受け入れるようなXの行為については、そもそも同意の意思表示として明確でない上、自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したということもできないから、役職手当の減額に対するXの同意があったとは認められない。」
  • 同意が認められるとしても当該合意は無効
    • 「仮に役職手当の減額に対するXの同意が認められるとしても、当該合意は継続的な労働条件の変更であるところ、Y社は役職手当の減額に合わせた給与規程の変更を行っていないから、就業規則たる給与規程に定める基準に達しない労働条件を合意したものとして、労働契約法12条により、当該合意は無効となり、役職手当の金額は、給与規程に規律されて10万円となる。」

争点3:未払役職手当請求の消滅時効の成否

  • 「1個の債権の一部についてのみ判決を求める趣旨が明示されずに訴えを提起した場合には、訴えの提起により、当該債権の同一性の範囲内において、その全部につき時効の完成猶予の効力を生ずるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和45年7月24日第二小法廷判決・民集24巻7号1177頁参照)」
  • 「Xは割増賃金及び付加金の支払を求めて本件訴訟を提起しており、割増賃金請求の法的根拠は労働契約に基づく賃金請求権とみるのが自然であるところ、訴状において債権の一部についてのみ判決を求める趣旨を明示した事実は認められない(なお、訴状には退職金の差額請求を追加予定である旨記載されているが、飽くまで将来的に請求を追加する予定を示したものにすぎず、実際にはその後も退職金請求が追加されなかったことにも照らすと、未払退職金の存在を確定的に主張する趣旨とは解されない。)。そうすると、本件訴訟の提起による時効の完成猶予の効力は、労働契約に基づく賃金請求権の範囲内において生じ、未払役職手当請求権にも及ぶものと解するのが相当である。」
  • 「したがって、令和2年4月27日支払分及び同年5月27日支払分の未払役職手当請求権については、令和4年11月22日にされた訴え提起により、時効の完成が猶予されているから、消滅時効は成立しない。」

コメント

1 「管理監督者」について

管理監督者の定義

「事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者」は、一般的に「管理監督者」と呼ばれ、この「管理監督者」に該当する労働者については、労働基準法の第4章(32条~41条の2)、第6章(56条~64条)、第6章の2(64条の2~68条)で定める労働時間・休憩・休日に関する規定が適用されない(労働基準法41条2号)※1
「管理監督者」について労働基準法上の労働時間・休憩・休日に関する規定を適用除外とする労働基準法41条2号の趣旨は、「管理監督者」については労働時間規制を超えて活動することが要請される重要な職務と責任をもち、現実の勤務態様も労働時間規制になじまない者についてその地位の特殊性ゆえに適用しないこととした点にあるとされる※2
この定義に関して、行政通達※3では、「監督又は管理の地位にある者とは、一般的には、部長、工場長等労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的な立場にある者の意であり、名称にとらわれず、実態に即して判断すべきである。」とされ、法規制の枠を超えて活動することが要請されざるを得ない、重要な職務と責任を有し、現実の勤務態様も労働時間等の規制になじまないような立場に限って適用除外が認められる趣旨であり、資格及び職位の名称にとらわれることなく、職務内容、責任と権限、勤務態様に着目して実態に基づいて判断しなければならず、これらに加えて賃金等の待遇面(地位にふさわしい待遇がなされているか否か、ボーナス等の一時金の支給率、一般の労働者に比べて基礎賃金算定において優遇措置が講じられているか、など)についても考慮する必要がある、としている。

日本マクドナルド事件判決(東京地判平成20年1月28日労判953号10頁)

ファーストフード店の店長について「管理監督者」に該当するか否かが争われた事件として、東京地判平成20年1月28日労判953号10頁〔日本マクドナルド事件〕(以下「平成20年東京地判」という。)では、労働基準法41条2号の趣旨は、「企業経営上の必要から、経営者との一体的な立場において、所定の労働時間等の枠を超えて事業活動することを要請されてもやむを得ないものといえるような重要な職務と権限を付与され、また、賃金等の待遇やその勤務態様において、他の一般労働者に比べて優遇措置が取られているので、労働時間等に関する規定の適用を除外されても、上記の基本原則に反するような事態が避けられ、当該労働者の保護に欠けるところがないという趣旨によるもの」であるとしている。
そのうえで、判断基準として、店長という名称だけでなく、実質的に法の趣旨を充足するような立場にあると認められるものでなければならず、具体的には、「①職務内容、権限及び責任に照らし、労務管理を含め、企業全体の事業経営に関する重要事項にどのように関与しているか、②その勤務態様が労働時間等に対する規制になじまないものであるか否か、③給与(基本給、役付手当等)及び一時金において、管理監督者にふさわしい待遇がされているか否かなどの諸点」から判断すべきとし、上記①~③の3つの基準をもとに実質的に判断をするべきことを明示した。

裁判例における判断基準の傾向

裁判例においては、平成20年東京地判のように、次の3点を考慮して管理監督者性が判断されることが多いとされる※4

  1. 事業主の経営上の決定に参画し、労務管理上の決定権限を有していること(経営者との一体性)
  2. 自己の労働時間についての裁量を有していること(労働時間の裁量)
  3. 管理監督者にふさわしい賃金等の待遇を得ていること(賃金等の待遇)

裁判例において、これら3点は表現上は考慮要素とされ、これらの要素を総合的に考慮して決するとされることが多いが、実際の判断においては、これらのうちどれか1つでも欠いた場合には管理監督者性を否定する判断がされることが少なくない※5

本件裁判例における判断枠組み

本判決件も、上記3点(経営者との一体性、労働時間の裁量、賃金等の待遇)について詳細に事実認定を行った上で、最終的にXが「管理監督者」に該当するというY社の主張を認めている。
具体的には、本判決は、経営者との一体性に関しては「経営上の重要事項に関する決定に参画するとともに、労務管理等に関する重要な権限及び責任を有していた」と評価し、労働時間の裁量に関しては「自由な裁量を有していたとまでは認められないが、一般の社員と比較して緩やかに労働時間が管理され、一定の裁量によって労働時間を律することができた」として完全な自由裁量ではないが自ら制御することができたと認定し、賃金等の待遇に関しても他の社員との比較や会社の売上規模に占める給与額の割合から「管理監督者に相応しい待遇を受けていた」とし、3点をいずれもみたすものと判断して、Xは管理監督者に当たるとしている。

2 労働条件変更に対する労働者の同意の有無について

労働条件の変更に対する労働者の同意

労働契約法8条が「労働者及び使用者は、その合意により、労働契約の内容である労働条件を変更することができる。」と定めている等、労働条件の変更を、使用者と労働者との間での合意(又は労働条件の変更に対する労働者の同意)により行うことは、私人間の契約自由の原則に基づいて可能ではあるものの、労働者保護の観点から、法令上又は判例上、合意・同意の成立及び有効性に関して制約が存在する。
第1に、そもそも労働者による同意の有無は慎重に認定され(最判平成28年2月19日民集70巻2号123頁〔山梨県民信用組合事件〕)、かつ、第2に、仮に合意が存在したとしても合意内容が就業規則に定める基準を下回る場合は当該同意は無効とされる(労契法12条)。

労働者による同意の有無

最判平成28年2月19日民集70巻2号123頁〔山梨県民信用組合事件〕

就業規則に定められた退職金の支給基準の変更が問題となった事案に係る最判平成28年2月19日民集70巻2号123頁〔山梨県民信用組合事件〕は、労働条件変更に対する労働者の同意の有無について、以下のとおり判示した。

  • 「労働契約の内容である労働条件は、労働者と使用者との個別の合意によって変更することができるものであり、このことは、就業規則に定められている労働条件を労働者の不利益に変更する場合であっても、その合意に際して就業規則の変更が必要とされることを除き、異なるものではないと解される(労働契約法8条、9条本文参照)。
    もっとも、使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである。
    そうすると、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である」
本判決

本判決は、そもそもXによる役職手当減額に対する積極的な同意がなかったことを事実認定したうえで、役職手当の減額の必要性について労働者への十分な情報提供ないし説明がされていたともいえず、役職手当の減額を受け入れるようなXの行為については自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したということもできないことから、役職手当の減額に対するXの同意があったとはいえない、と判断した。
役職手当の減額という労働者に不利益をもたらす労働条件の変更については、会社から労働者に対してその変更が必要となる十分な情報提供と説明がされており、その説明等に基づいて労働者が自由な意思に基づいて同意をしたと認められる合理的な理由が客観的に存在することが求められるという会社にとって極めてハードルの高いものであることを明示している。売上低下を理由に減額を求めているのに財務状況については説明をしていない会社の姿勢なども考慮された判断がされており、労働者に不利益な変更となる場合に同意の有無を慎重に判断するべきという上記平成28年最判に沿った判断がされているといえる。

合意と労働契約法12条(就業規則の最低基準効)

なお、仮に、役職手当の減額に対するXの同意が認められ合意が存在するとしても、合意内容が就業規則に定める基準を下回る場合は、当該合意は無効となる(労働契約法12条)。
労働契約法12条は、労働契約の合意内容が就業規則に定める基準に達しない場合、労働契約はその部分について無効とされ、就業規則で定める基準によることとなる旨を定めており、同条は就業規則が労働者に適用される最低基準であることを担保する強行規定とされている※6
本判決では、そもそも同意の存在自体が認められなかったうえ、たとえ同意が存在したとしても役職手当を支給するという就業規則の基準に達しない合意であるため労働契約法12条が適用され、就業規則(給与規程)のとおり役職手当を支給しなければならない、と判断した。
使用者としては、労働者との間で就業規則等に定める基準を下回る内容の労働条件について合意をしようとする場合は、それに合わせた就業規則等の変更をしなければ、労働契約法12条に基づいて当該合意が無効と判断されるおそれがあるということになる。

3 債権の一部請求と消滅時効

賃金請求権の消滅時効

賃金請求権の消滅時効期間は、かつて、労働基準法制定時は「2年」とされていたが、その後、労働基準法の令和2年改正(令和2年法律第13号)により、同改正法の施行日である令和2年4月1日以降に支払期日が到来する賃金請求権(ただし退職手当請求権は除く。)※7については、権利行使可能な時点から「5年」とされている(労働基準法115条)。
ただし、改正法が適用される場合であっても、紛争の早期解決・未然防止という賃金請求権の消滅時効制度が果たす役割、企業の記録保存に関する負担への影響等に鑑みて、退職手当請求権以外の賃金請求権については、当分の間は、消滅時効期間を権利行使可能な時点から「3年」とする激変緩和措置が採られている(改正附則143条3項)※8

本判決の争点

本判決の事案では、令和4年11月22日の訴え提起後、Xから、令和5年6月20日に、令和2年4月分から令和3年3月分までの未払役職手当及び遅延損害金の支払請求を追加する訴えの変更申立書が提出された。
役職手当の支払日は当月27日であったため、令和2年4月分以降の役職手当については令和2年改正後の労働基準法が適用され、権利行使可能な時点から「3年」で消滅時効が完成する(改正附則143条3項)。
そして、令和2年4月分以降の役職手当の請求を追加する訴えの変更がなされたのは令和5年6月20日であるから、令和2年4月分・5月分については、訴え変更時点で、既に支払日から「3年」が経過している状況であった。
すなわち、令和2年4月分・5月分については、「訴え提起」により消滅時効の完成猶予(民法147条1項1号)がなされているといえない場合には、「訴えの変更」時点では既に消滅時効が完成している状況であった。

Y社は、令和6年10月10日の口頭弁論期日において令和2年4月分・5月分の役職手当については消滅時効が成立しているとして消滅時効の援用をする旨の意思表示を行ったため、令和4年11月22日の「訴え提起」による消滅時効の完成猶予効(民法147条1項1号)が令和2年4月分・5月分の役職手当にも及ぶか否かが問題となった※9

判例等

債権の一部請求の場合に時効の完成猶予効(中断効)が及ぶ範囲

債権の一部請求の場合にどの範囲で時効の完成猶予効(中断効)が生じるかという論点について、最判昭和45年7月24日民集24巻7号1177頁は、「一個の債権の一部についてのみ判決を求める趣旨を明らかにして訴を提起した場合、訴提起による消滅時効中断の効力は、その一部についてのみ生じ、残部には及ばないが、右趣旨が明示されていないときは、請求額を訴訟物たる債権の金部として訴求したものと解すべく、この場合には、訴の提起により、右債権の同一性の範囲内において、その全部につき時効中断の効力を生ずるものと解するのが相当である。」と判示する※10

  • 一部請求であることを明示した場合
    →残部には時効の完成猶予効は及ばない。
  • 一部請求であることを明示しない場合
    →債権の同一性の範囲内で時効の完成猶予効が及ぶ(残部にも時効の完成猶予効が及ぶ可能性がある)。
明示的一部請求の判断基準と時効中断効の関係

一部請求であることが明示されているかどうかについては、請求の趣旨及び請求原因の記載を総合してなされるのが原則であるが、請求権の性質、明示の期待可能性、相手方の認識などの事情から明示されていたものと解すべき場合がある※11
一部請求とされる場合の時効中断効について、知財高判平成25年4月18日判時2196号103頁は、「数量的に可分な債権の一部につき訴えを提起したとしても、当該訴訟においてその残部について権利を行使する意思を継続的に表示していると認められる場合には、請求されている金額についてその残部の訴訟物が分断されるものではなく、また、残部について催告が継続的にされていると認めることができるから、当該残部の債権についても消滅時効の進行が中断するものと解すべき」としたうえで、「当該訴訟係属中に訴えの変更により残部について請求を拡張した場合には、消滅時効が確定的に中断する。」と判断した。単に一部であることを明示しただけでなく、原告が残部についても権利行使をする意思が明確にあり、実際に訴えの変更を行って請求の拡張をすることで初めて、一部請求であったとしても残部に対して時効中断の効力が生じると判断したものである。当初の請求を一部請求とせざるを得ない理由があったとしても、残部について時効中断の効力を得るためには、残部を将来請求する意思があることを明示するだけでなく、当該訴訟係属中に請求の拡張までも行わなければならないとされている。

明示的一部請求の法的効果

なお、一部請求であることを明示した請求に係る訴え(明示的一部請求訴訟)が提起された場合に、消滅時効の完成猶予(中断)の効力はその一部にのみ及び、残部には生じないことは上記のとおりであるが、残部について何らかの法的効果が生じるか。
この点について、最判平成25年6月6日民集67巻5号1208頁は、残部につき権利行使の意思が継続的に表示されているとはいえない特段の事情※12のない限り、当該訴えの提起は、残部について裁判上の催告として消滅時効の中断の効力を生ずるというべきで、債権者は、当該訴えに係る訴訟の終了後6か月以内に民法153条所定の措置を講ずることにより、残部について消滅時効を確定的に中断することができる、と判断し、明示的一部請求であっても訴え提起によって残部に催告(民法153条)の効果が生じることを明確にした。
平成25年最判の事案は、時効完成前の内容証明郵便による催告(第1の催告)があり、その6か月以内に訴え提起されたことによって時効中断の効力が生じたものであり、当該訴え提起が残部に対する催告になり得るとしても(第2の催告)、催告から6か月以内に再び催告をしたにすぎないこととなるから、この場合は第1の催告から6か月を経過することにより消滅時効が完成する、と判断した※13

本判決の判断

本判決は、上記昭和45年最判を引用し、割増賃金請求の法的根拠を労働契約に基づく賃金請求権とみたうえで、訴状において当該債権の一部についてのみ判決を求める趣旨を明示した事実は認められないとしたうえで、労働契約に基づく賃金請求権の中には、基本給のみならず各種手当も含まれるため、当初の訴え提起によって役職手当請求権についても時効の完成猶予の効力が生じると判断した。
すなわち、令和2年4月分・5月分の役職手当請求権について、(「訴え変更」時点ではなく)「訴え提起」時点で既に時効の完成猶予効が生じており、これらについても消滅時効は完成していないと判断された。

4 付加金請求についての判断

裁判所は、賃金を支払わなかった使用者に対して、労働者の請求により、使用者が支払わなければならない未払金に加えて、それと同一額の付加金の支払を命ずることができる(労働基準法114条)。
労働基準法114条の趣旨は、労働者保護の観点から、割増賃金等の支払義務を履行しない使用者に対し一種の制裁として経済的な不利益を課すこととし、その支払義務の履行を促すことにより労働基準法上の各規定の実効性を高めるとともに、使用者による割増賃金等の支払義務の不履行によって労働者に生じる損害の填補を図ることにあるとされる※14
労基法114条所定の違反事由がある場合であっても、付加金の支払を命じるか否かは裁判所の裁量に委ねられており、諸般の事情を考慮した結果、賃金の不払は認めつつ、賦課金の支払までは命じなかったり、付加金の額を減額したりする裁判例も存在する※15
本判決は、Xが管理監督者に該当すること、未払の深夜割増賃金が少額であることなどの事情を考慮して、付加金の支払を命ずるのは相当でないと判断した。

※1:なお、適用除外とされるのはあくまで労働時間・休憩・休日に関する規定であって、深夜業の規制(労働基準法37条4項)は適用除外とされていないから、たとえ管理監督者(労働基準法41条2号)に該当したとしても、深夜業の割増賃金の支払義務は発生するとされる。荒木尚ほか『注釈労働基準法・労働契約法 第1巻――総論・労働基準法(1)』(有斐閣、2023年)676~677頁。
※2:水町勇一郎『詳解労働法〔第3版〕』(東京大学出版会、2023年)716頁。
※3:昭和63・3・14基発第150号「労働基準法関係解釈例規について」
※4:佐々木宗啓ほか『類型別 労働関係訴訟の実務〔改訂版〕Ⅰ』(青林書院、2021年)250頁。水町・前掲(※2)716頁以下も参照。
※5:水町・前掲(※2)716頁脚注97。
※6:水町・前掲(※2)188頁以下。
※7:佐々木ほか・前掲(※4)184頁。
※8:佐々木ほか・前掲(※4)183頁。
※9:なお、民法147条1項1号による時効の完成猶予の効果は、訴状送達時ではなく、訴状提出時に生じる(最判昭和38年1月18日民集17巻1号1頁、四宮和夫ほか『民法総則〔第9版〕』(弘文堂、2018年)471頁)。
※10:ただし、判例のうち、一部請求であることを明示した場合には残部には時効の完成猶予効は及ばないとする点に対しては、学説からの批判も存在する。伊藤眞『民事訴訟法〔第8版〕』(有斐閣、2023年)250~251頁、松岡久和ほか『新・コンメンタール 民法(財産法)〔第2版〕』(日本評論社、2020年)251頁参照。
※11:伊藤・前掲(※10)238頁脚注109。
※12:債権者が訴訟の中で「残部は請求しない」と明示的に示していたような場合はここでいう「特段の事情」にあたり、この場合は催告効すらも認められないことになる。
※13:最判平成25年6月6日民集67巻5号1208頁は次のとおり判示している。
 「催告は、6箇月以内に民法153条所定の措置を講じなければ、時効の中断の効力を生じないのであって、催告から6箇月以内に再び催告をしたにすぎない場合にも時効の完成が阻止されることとなれば、催告が繰り返された場合にはいつまでも時効が完成しないことになりかねず、時効期間が定められた趣旨に反し、相当ではない。したがって、消滅時効期間が経過した後、その経過前にした催告から6箇月以内に再び催告をしても、第1の催告から6箇月以内に民法153条所定の措置を講じなかった以上は、第1の催告から6箇月を経過することにより、消滅時効が完成するというべきである。この理は、第2の催告が明示的一部請求の訴えの提起による裁判上の催告であっても異なるものではない。」
※14:佐々木ほか・前掲(※4)267頁。
※15:佐々木ほか・前掲(※4)267頁。

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